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シロナガスクジラ【Blue Whale】
2007-05-12 Sat 00:00


地球上最大の動物です。(生物では、樹木類の方が大きいため)
海中にもぐる直前の姿を再現した1:1模型で、丁度背びれが海面から出て見える状態です。
上野の科学博物館の横にありますがはっきり言って巨大です。
三階の窓から尻尾を見ることもできます。
体長は20~30m 体重100~200tです。

かつて、石油の代わりに鯨油を使用していた時代に、欧米により油を採るためだけに(油以外は捨てていました)、乱獲されその数を推定7000頭ほどにまで減らして絶滅が危惧されましたが、近年では保護されています。

しかしながら、その巨大な体を維持するための餌が不足しているのか、その餌を競合する、ミンククジラが保護されて爆発的にその数を増やしているため、結果的に餌不足になるのかは定かではありませんが、保護された後も他の鯨ほどの増加はしていません。
ハクジラは死ぬと沈むのに対して、ヒゲクジラは死んでも浮いたままになるため、漁を行うにはひげ鯨、更には最も大きいシロナガスクジラが1番の標的にされたようです。また、ホッキョククジラは動きも鈍いため漁が楽だったようです。(どちらも現在でもあまり数は増えていません。)

昨今のクジラ問題は鯨を油資源とだけ考えていた民族と、余すところ無く(身は食料、骨は建築材料、ひげはゼンマイなどに)使用していた民族との考え方の違いを理解していくことが大事なのではないかと思いますが、難しい問題です。
植物だって生き物なのですから、どんな生き物も他の生き物の『生』を奪って生きている事を忘れてはいけません。
ヒトだって、野生動物の前に出ればエサなんですから。

ちなみに、ペリーが艦隊を率いて浦賀にやってきて日本に開国を迫った理由は、
捕鯨基地として日本を利用したかったからです。
教科書なんかには載っていませんが。。。



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この記事のコメント
>文献の件ですが、この戦前の日本捕鯨の驚くべき活動にも拘らず、それに関する文献の少ない事も驚くべきです。 私は捕鯨関係者が捕鯨史の恥部として組織的に抹消したのだと勘ぐっています。

確かに可能性はあると思います。不自然なほど廃棄したことを示すものも、利用したことを示すことも不明確ですから。
ぜひその辺のところもっと突っ込んで発表してやってください。

>但し、だからといって外国の捕鯨船が漫然と油以外の部分を投棄していたわけではなく、彼らも出来る範囲で有効利用していたと信ぜられます。

おそらくそうでしょうが、彼らは油以外に利用価値を見出すことができなければ、油以外全廃棄しても彼らの言い分としては100%有効利用していることになるのではないでしょうか。肉を積むくらいなら油を積むでしょうし。

変な例えですがわたくしがサンマの塩焼きを食べると頭と尻尾しか残りませんが、頭、骨、内蔵、皮、尻尾を残す人にはそれらの必要価値は無いのですから。
2007-05-17 Thu 11:33 | URL | つる #-[ 内容変更] | top↑
油がクジラの屠体の2割くらい回収出来るとしましょう。

その場合、当時の日本捕鯨船団は残りの8割を南極海に投棄していたのです。 
その中に約3割の肉ガ含まれていた訳です。肉でも脂でもない部分が血液(これだけでも1割はある)、骨、尻尾、内臓、胎児などに当たります。 

捨てる部分を出来るだけ少なくして有効利用を図るには、先ず食用の肉を切り分け、残りの部分を煮沸して油を掬い取り、最後に残滓を総て乾燥、粉砕して骨肉粉とすれば屠体の略全部が利用できます。 然し遠洋で操業する捕鯨船の場合、多くの制約があるのでしょう。

第2次大戦後再建された日本捕鯨では、ある時期まで、肉も油も販路が確保され、骨肉粉の製造も行なうなど理想的な有効利用が行なわれていたと思います。

但し、だからといって外国の捕鯨船が漫然と油以外の部分を投棄していたわけではなく、彼らも出来る範囲で有効利用していたと信ぜられます。

文献の件ですが、この戦前の日本捕鯨の驚くべき活動にも拘らず、それに関する文献の少ない事も驚くべきです。 私は捕鯨関係者が捕鯨史の恥部として組織的に抹消したのだと勘ぐっています。

なんならつるさん、その時期の数十万トンの鯨肉が残らず日本人の口に入った事を証明する文献でも探して見られることをお勧めします。



2007-05-17 Thu 10:47 | URL | げんた #-[ 内容変更] | top↑
いや、肉の量が3割なのは分かっていますが、油以外の6割の行方は?肉にだけこだわっているようですが、3割の肉以外に6割の血液、骨、内臓、尻尾、胎児なども捨てていたと言いたかったのでしょうか?
>最初の稿に書いたように、この時代の日本船団は潜在的に生産可能であった肉の回収を事実上行なわなかった

とありますが事実関係は?
ネットで調べても、げんたさんがあちこちで書き込んでいるものくらいしか見つけられないので、文献名など御教示下さるとたすかります。
2007-05-17 Thu 09:13 | URL | つる #-[ 内容変更] | top↑
>800,000tが閉める割合は800,000÷2,434,698=32.86%となっています。げんたさんの言う肉の量を30%ととすると、丸ごと肉を捨てていないと成り立たない数字になりますが・・・・

私は「約3割」と書きました。
32.86%は約3割の範疇に入ります。
つるさんの疑問とされていることが良く分りません。
いずれにせよ80万は概数です。

最初の稿に書いたように、この時代の日本船団は潜在的に生産可能であった肉の回収を事実上行なわなかったのですから、「丸ごと捨てて」いたのですが?




2007-05-17 Thu 06:40 | URL | げんた #-[ 内容変更] | top↑
数字の使い方や2つの話が交じりよくわからないのですが、提示されている数字を計算すると話が合わなくなり、さらによくわからなくなりました。
シロナガス   15927頭×100t=1、592、700t
ナガス      13071頭×50t=653、550t
ザトウ      3888頭×32t=124、416t
マッコウ     2001頭×32t=64,032t
合計  2,434,698tになりますねぇ。
このうち、800,000tが閉める割合は800,000÷2,434,698=32.86%となっています。げんたさんの言う肉の量を30%ととすると、丸ごと肉を捨てていないと成り立たない数字になりますが・・・・
2007-05-17 Thu 00:17 | URL | つる #-[ 内容変更] | top↑
さて、当時の南極捕鯨で捨てられた鯨肉を約80万トンと試算したのですが、その計算は次の通りです。

1)殺された各種のクジラの数にそれぞれの標準的一頭辺り生体重量をかけて集計する。 2)肉の量は生体重量の約3割と推定する。

話は変わりますが、現在の所謂調査捕鯨ではミンク鯨の生体重量の約40%程度の製品が持ち帰られています。 この場合鯨肉と皮下脂肪が利用されていますが、それでも血液、骨、内臓、尻尾、胎児など捨てられる部分が60%ほどあることになります。
2007-05-16 Wed 14:14 | URL | げんた #-[ 内容変更] | top↑
少し話が紛糾していると思います。 私が問題にしているのは戦前の南極捕鯨です。 1934年参入の後、捕鯨船団は急速に拡張されたちまち6船団に達しました。 この戦前の南極捕鯨は第2次大戦の勃発で中断し捕鯨母船は油送船として軍に徴用され、悉く連合軍に撃沈されました。 従って国民の飢えをしのぐ為再建された南極捕鯨とは断絶しています。 
当時、農林省はこの捕鯨活動による鯨肉の持込を沿岸捕鯨保護の為禁止・制限していた様ですが、仮にそうでなくとも冷凍輸送の体制が不十分であった為、持ち帰れなかっただろうとの説もあります。

なおこの期間中に殺したクジラの数は統計によれば次の通りです。 私の書き方がよくなかったのですが、私はこの期間に殺された総ての鯨について計算しています。

シロナガス   15927頭
ナガス     13071頭
ザトウ      3888頭
マッコウ     2001頭

この状況については次のサイトでご覧になれます。

http://luna.pos.to/whale/sta.html
2007-05-16 Wed 13:54 | URL | げんた #-[ 内容変更] | top↑
記載いただきました内容について私の知らないことだったため、いろいろと調査していたため返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
シロナガスクジラ1頭当たり14,000リットルのクジラ油を採ることができます。油は体重の10%程採取できます。クジラ油の比重を他の動物油程度とし0.92とします。すると1頭あたりのクジラの体重は約150tと仮定できます。ここで35,000頭のクジラの体重合計は525万トンとなり、投棄された80万トンは全体の15%程度になります。逆に言い換えれば10%程度しか利用しない西洋式捕鯨に対し、日本の捕鯨は75%程度利用していたということになります。
また、1909(日本の参入は1934年)から1972年までの南氷洋での大型捕鯨時、日本が捕獲したシロナガスクジラは23,491頭です。記載いただいた35,000頭よりも11,509頭ほど少ない数になります。ちなみに、この期間にノルウェーが167,105頭、イギリスが110,568頭捕獲しています。当初シロナガスクジラが約30万頭いたとされていますので、どれだけ捕獲したか分かっていただけると思います。(殆どが油を採るだけで廃棄されていました)
クジラ食については江戸時代に捕鯨組織が確立し、ようやく庶民の口に入る食材になりました。江戸(当時人口世界一の大都市です)の庶民はクジラが関西地方から来た食文化であったことが気に入らなかったようで、「魚編に江で鯨と呼ばせたい」との川柳がのこっています。今で言うところのレシピ集なども出版されていたようです。これは、需要に供給が追いつかなくなり、苦肉の策で皮や内蔵、ひげまで食べるようになったからです。
戦後の栄養不足でくじらが見直されたことは知っておりますが、それ以前(江戸時代)から庶民に消費されてい多様です。
ということで話は戻ります。正確な記録は無かったのですが、輸出向けに鯨油を精製したとして、投棄された80万トンとは、食用以外にしか使用できない骨やひげだったのではないでしょうか。全体の15%ですから。
ちなみにIWC(国際捕鯨委員会)の当初の目的は鯨油の価格破壊を抑えるために鯨の捕獲量を制限するということであって、鯨を保護することが目的ではありませんでした。
2007-05-15 Tue 18:01 | URL | つる #-[ 内容変更] | top↑
外国が鯨の油だけ取って後は捨てたとのご意見ですが、日本も同じことをしていた時代があります。 
日本は1934年に南極の大規模捕鯨に参入しましたが、その頃は油だけ取っていたのです。 1941年に第2次大戦が始まるまでの7年間に、日本は体重100トンもあるシロナガスなどの大型鯨を3万5千頭も殺しましたが、鯨肉は殆ど日本に持ち帰らず、輸出向けの鯨油の生産に専念しました。 これにより投棄された鯨肉は潜在的に80万トンにも達したと推定されます。
なぜか?日本には降って湧いたようなこの大量の鯨肉に対する需要が無かったからです。

鯨が日本中で消費されたのは第2次大戦に負け、飢えに苦しんでいた時からで、それ以前は鯨食は地域的な習慣でした。
2007-05-14 Mon 04:23 | URL | げんた #-[ 内容変更] | top↑
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